今日夕方の伊吹島。いつもと同じに見えます。そりゃ、ま、そうだ。 昨日で瀬戸内国際芸術祭の夏会期が終了。関係者の皆さんお疲れさまでした。 ワタクシはあまりの暑さに恐れをなして、結局、終了間際に伊吹島に行っただけでした。 秋のみ開催ってところもあるので、こりゃ、1日や2日じゃ全部は回りきれないぞ。大丈夫か?と早くも焦っています。 ところで、今回の伊吹島の作品を見て、すこーし考えたことがあります。 とある会場では数人ずつ入って説明を聞き、その後各々の判断で出る、という鑑賞の仕方でした。 そこで思ったのですが、説明って必要だったんでしょうか?あるいはその説明も含めての作品だったんでしょうか? 何故、説明が必要だったんでしょうか?見る人の理解のため?見る人を見せたい方向に誘導するため? それとも誤解を避けるため?正解を発見させるため? その作品の作者は何度もテレビ番組に登場していて、会場で聞いた説明のもとになる話をされているのを見ました。 その様子や今回の展示方法や作品そのものを見てワタクシが感じたのは、見たまんまじゃダメなの?ということでした。 少なくとも最初はそのものを見ることから始まるんでいいんじゃないの?と思いました。 なんだかとても窮屈な想いがしました。このゲイジュツってなんて不自由を人に強いるものなんだろう、と思いました。 ましてや大災害に関わる素材を扱うのであればなおさらではないのでしょうか。 もう1カ所、説明のある会場がありました。 そもそも食がアートになりうるのか?って多分誰もが思うことでしょうし、ワタクシもどっかひっかかるものがありましたが なんか説明を聞いていて、説明している人を見ていて、それを聞いている人を見ていて これもアリかな、と思いました。おいしければいいじゃん、と。 少なくともこちらはご本人が説明しています。もしかしたら毎日だったんでしょうか?暑い中ずっと? もしかしてもしかして、基本的には自分で調理していたんでしょうか?毎日毎日?期間中ずっと? そんなこと考えていたら、これってひとつのパフォーマンスというかアクションというか 行為としてアートになっているんじゃないかな、と思うようになりました。 説明の内容自体も決して作品に深みを持たせようとかイイワケしとこうとかいうものではなく、ましてや味の説明でもなく この島ならではの味を目指して同時に、想像ですけど批判的な想いも込めて作られているように思いました。 そんなことも考えさせられた作品でした。美味しかった。ごちそうさま。 作品に説明って必要でしょうか?この壁はこのままではだめですか? この壁にタイトルと説明をつければ作品になりますか?付けられた説明は常に真実でしょうか? ゲイジュツってメンドクサイですね。。。。。。。って、メンドクサイのはワタクシですね、ハイ、スイマセン。
by udonfly
| 2013-09-02 22:00
| セトゲイ
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